ゆりちゃんの話

先日、当店の影のオーナーの卒業式があり、奥方様が出席してきました

今年はコロナの影響で出席者できる人数が制限され、本来は出席は断念していたんですが、父親に急な事情が出来し代わりに行けることになったんです

小っちゃな頃からばあばにつかず離れずな子だったので、奥方様の感慨も一入だったようで、番頭さんも帰ってから式の様子などを涙交じりで事細かく聞かされました(笑)

その中で、「かがやき学級の子たちも名前を呼ばれていたよ」「ん、何それ?」という話になり

最近では発達に難のある子供たちへの支援体制が活発で、小学校における「かがやき学級」、中学校での「はばたき学級」など、地域の対応、生徒間の意識向上のプログラムも整っているそうですね。とても良い試みだと思いました。番頭さんの時代(半世紀近くも前ですw)では重度ではない程度なら、知的障害を持つ子供も普通に一般生徒と同じ学級に通っていていましたからね

で、番頭さんが6年生のときのクラスにもいたんです。女の子が一人だけ


名前をゆりちゃん(百合子)といいました


ニコニコと可愛い子だったんですが、いつも鼻水を垂らしていたりしたもんですから、悪ガキ男子だけでなく女子からも日常的なからかいを受けていたんですね。まあ、当時はあまり酷いことをしようもんなら教師の鉄拳が容赦なく飛んでくる時代でしたから、現代のイジメのような陰湿なものではなかったのでしょうが、それでも本人はかなり辛かったと思います


夏休みも終盤に近かったころだと記憶しています。相変わらず宿題のことなど忘却の彼方で油を売って帰ってくると、母親が血相変えた顔で

「〇〇ゆりこちゃんってアンタのクラスの子でしょ?」

「うん」

「さっき△△君のお母さんから連絡があって、、、その子、ゆりこちゃんが亡くなっちゃったって」

そう言われても何が何だか解りませんでした。それまで自分の周りで誰かが死ぬなんてことなかったから



その日のうちに保護者が集められ、事情が説明されました

「溺死」

だったそうです。それも一年生の弟も一緒に

溺れたのは小学校のすぐ裏手にある、日照りが続くとすぐに涸れてしまういわゆる“水無川”。運悪くその前にまとまった雨があったのでしょうか、ともかくも彼女たちはここで溺れてしまったのです

たまたま目撃者がいて、その人がすぐに助けを呼んだのですが、比較的速い救助だったのにもかかわらず姉と弟は帰らぬ人となりました


翌日か翌々日か定かではありませんが、クラスが揃って弔問に行きました

お宅は今で言うところの文化住宅、長屋のような家でした。ご家族もいたと思うのですが不思議なことに記憶がまったくなくて、一人のおばさんが我々に向かって話をしてくれました。この人が目撃者で通報者でした

最初に川に落ちたのは弟のほう。ゆりちゃんは弟を助けるべく泳げないのに自ら飛び込んだのだそうです



帰路についた我々クソガキに言葉はありませんでした。女子の多くは泣いていました

クラスメイトを亡くした衝撃と哀しみもあったのでしょう。でもそれよりも彼らを黙らせたのは敗北感でした。弟の命を守るべく自らを顧みずに飛びこんだ行為に、それがたとえ障碍者ゆえの浅慮だったとしても、ちっぽけな優越感でいつも彼女を見下していた連中は自分たちのつまらなさに打ちひしがれることになったのですから


実は弟さんも軽度の知的障碍者でした。ご両親にはいろいろと問題があって、彼女たちの障碍は血の濃い婚姻によるものだというような噂がその後まことしやかに流れたのを記憶しています

番頭さんの学校は小5~小6はクラス替えがなく、ほぼ同じメンバーです。ゆりちゃんは小5途中からの転校生でしたが、短い間にあのクラスの子供たちに大きなものを遺してくれました



十数年前に中学の同窓会が行われました。頭頂が寒くなっている者もいれば年齢と比例して体型が倍化した者もおりました(関係ない😅)が、小学校から一緒の連中も多かったので尋ねてみたんです。ゆりちゃんのことを覚えているかって


ある女の子(おばさんになっていましたが)はゆりちゃんの名前を聞くなり涙を浮かべてしまい、「当たり前でしょ、○○ゆりこでしょ?私はあの子に本当に悪いことをした」別の男の子(腹が出ていましたが)は「お前が訊いてきて驚いた、オレもみんなに訊こうと思ってた」と、尋ねた全員がゆりちゃんのことを覚えていました。ある女の子(やはりおばさんになっていましたが)は中学生になっても高校に行っても絶対にイジメだけはするまいと心に誓い貫いたと言ってましたが、別の男の子(生え際が後退していましたが)に「お前中心人物だったじゃねぇか」と茶々を入れられると、他の元女子を結集してそいつの頭のことをみんなで指摘していました。(これってイジメじゃないの?w)


その夜はゆりちゃんが取り持った宴となり、2次会のバーでバランタイン18年というとんでもない酒を空けてしまいお会計で一同真っ青になったのです


あの川は今もあって、たまたまその近くを通ったときに車を下りて独りで土手を少しだけ歩いてみました。この辺りは比較的開発は進んでおらず、遠くには昔からの梨畑が見えました。その日は川には少しだけ流れがありました






今日の一曲です



キャロル・キングのオリジナルを貼ろうと思ったんだけど、今日は特別。Happy Birthday Lady Gaga


今日は役立つ情報はありません、ごめんなさい🙇そのうえ駄文の長文をご覧いただきありがとうございました😓





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